DEFINITION
VISUAL ANTHROPOLOGYは邦訳すると映像人類学、または視覚人類学となります。その定義はさまざまありますが、このサイトでは、視覚メディアを用いた人類学的研究及び制作として解釈します。類似の学術分野として、民族誌映画(Ethnographic Film)が挙げられますが、映像人類学は、より幅広い視覚表現(映像、写真、絵画、インスタレーション、パフォーマンス)を包括します。
HISTORY
1880年代に学問分野として人類学が出現する前から、 民族学者は研究資料として、また絶滅の危機に瀕していると考えられている社会(例えばエドワード・カーティスのアメリカ先住民の写真)の生活様式を後世に記録するため、写真を用いてきました。機器の発達によって、映像メディアが登場し、民族誌映画が生まれ、のちにより包括的な映像人類学として発展していきます。
人類学的な映画製作の歴史はノンフィクションやドキュメンタリー映画製作の歴史と絡み合っています。民族誌の最初の映画のいくつかは、 リュミエールの発明した映画機器で制作されました。1913年にロバート・フラハティの北極圏の人々の生活を記録した映画「極北のナヌーク / Nanook of the North (1922年)」が、その後の民族誌映画の原型となるフィールドワークと参与観察をベースとした、最初の民族誌映画と言われています。近代化の影響をまだ受けていない(という前提に立って)民族やその文化を記録することが初期の民族誌映画の特徴ですが、植民地主義という批判的ディスコースの高まりの中で、のちに近代化の影響に着目して考察する態度へ、さらにはオートエスノグラフィーをはじめとした、ポストモダニズムの思想に影響を受けた、真正な表象とは何かという、パースペクティズム的なアプローチへと転換していきます。
例えば、1940年から1950年初頭にかけて、ホーテン・パウダーメーカー、グレゴリー・ベイトソン、マーガレット・ミード、ローダ・メトローなどの人類学者は、西洋中心主義的な文脈における人類学的な視点をマスメディアや視覚表現に取り入れました。20世紀後半には、ジャン・ルーシュ、ジョン・マーシャル、ロバート・ガードナー、ティム・アッシュ、デビッド・マクドゥーガルら、伝統的な様式とは異なる新しいアプローチで映像人類学を再定義しようと試みています。
米国では、1958年にハーバード大学のピーボディ考古学民族学博物館に映画研究センターが設立され、映像人類学を学術的に導入することになります。またイギリスでは、マンチェスター大学のグラナダ視覚人類学センターが1987年に設立され、MA、MPhil、PhDの学生に人類学と映画制作のトレーニングを提供し、卒業生はこれまでに300以上の映画を制作しています。アメリカやイギリス、そしてドイツなどが大学・大学院教育において映像人類学に力を入れていると言えるでしょう。ただし、テクノロジーの進化により映像制作のハードルが低くなった昨今では、アカデミックな領域とは異なる新しい土壌(短期・長期のワークショップや個人制作など)から、文化的価値の高い映像が制作され、また発表されるという流れも生まれています。
